« 合掌 | メイン | 革の鞄のケースワーカー »

2005年11月10日

木曜の深夜

  [about me]

なんかまた調子悪い、、、
もうこの際だから「うつ日記」でもつけてみようかと思うけど、こんな風にブログ出来るんなら、まだまだ正常か。
こんな暗い事ばかり書いているから誰も来ないんだろうな。
どうせ読んでくれる人などいないだろうけれど、いや、いないから書いてしまおう。

また言葉が無くなってきた。
耳に入る言葉が意味不明、思う事が言葉にならない、、、
2年ほど前の最悪だった頃は5日~1週間のサイクルで滅茶苦茶になる程おかしくなっていたけれど、ここ暫くはせいぜい1月に1度程度で収まっていたし、しかも極く軽い症状だったのに、今回はちょっと強烈。
また以前のように、際どい状態まで逆戻りするんだろうか。

また分からなくなってしまった。
私は何のために生きているんだ?
「生き続けなくてはいけない」ことと「死んではいけない」という事だけが、今生きている理由。
「生きていたい」と思う事が何もない、、、いや、一つだけあったのに、それは先日自分で切り捨ててしまった。きっとこうなるって予感しながら、敢えてそれを選んだのは自分。何をやっているんだ?

本当に、何のために生きているんだろうか。
こんな風に思いながら生きている人は私だけでは無いだろう。
でも、だからと言ってそれが、私も生きていようと思う理由にはならない。

なにも以前のように"死にたい"などと思う訳ではないけれど、あまりにもこの存在に意味が無く、いや、無意味なだけならまだしも生きている事が迷惑を掛けているだけの存在。
誰にも迷惑を掛けない生き方も死に方もない。
残酷だね、生きる事も死ぬ事も。
迷惑を掛け続けながらこの先も生き続けるか、一発とびきりの大迷惑を覚悟で死を選ぶか、、、
前者を怖いと思うが、後者を怖いとは全く思わない。
けれど、選ばなくてはいけないのは間違いなく「生」だ。
なんて残酷な話だ。

くたばれ死神、くたばれ自分、、、

トラックバック

この一覧は、次のエントリーを参照しています: 木曜の深夜:

» [note]生きること死ぬこと 送信元 踊る阿呆を、観る阿呆。を、書く阿呆。
  自分のことは自分でしなさい…などと躾けられるのは幼児の頃の話。大人として、社会人として生きるということは、誰かの後始末をし誰かに後始末をされるという相互依存... [詳しくはこちら]

About

2005年11月10日 23:50に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「合掌」です。

次の投稿は「革の鞄のケースワーカー」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34