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2008年12月05日

夜会Vol.15~夜物語~「元祖・今晩屋」 の謎

  [miss M.]

さて先日観てきた、中島みゆき嬢の『夜会』のお話。
全編書き下ろしの新曲です。
 まずは、敢えて具体的なストーリーは書きませぬ。
 ネタバレ無しで行ってみます。(そうは言っても中身には触れますよ)
DSC_0201.jpg
 (何故か傾いて見える? あ、今回のYamaha Artist's Hearthの袋は紺色)

 10月のスポニチ他でもありました通り、今回の夜会は森鴎外「山椒大夫」でも知られる「安寿と厨子王」を下敷きにしたお話。
 しかも「何十年も、何百年もたったその後の物語。」と語られていました。
 そして事務局サイトに事前掲載されたこの一文。

やさしき者ほど傷つく浮世
涙の輪廻が来生を迷う
垣衣(しのぶぐさ)から萱衣(わすれぐさ)
裏切り前の1日へ
誓いを戻せ除夜の鐘
 -「百九番目の除夜の鐘」より

何と言うかもう、事前情報のヒントは「予習」向けとして有りがたかったのですが、「安寿と厨子王(「山椒大夫」 [青空文庫])」以外は、謎が謎を呼ぶ事前情報。
 ・「夜物語」って?
 ・「今晩屋」って?
 ・なんで「元祖」?
 ・「裏切り」とは?
 ・「除夜の鐘」??
 ・何故に「風呂敷」??
 ・どうして「カステラ」???
 ・・・って感じで、なんで○○○ハウスなんだ?・・・状態ですわ。

 元々ストーリーに関する事柄が事前に漏らされる(公式に)事はこれまでにもなく、ここからして既に或る意味で異例の展開なのです。

 Vol.9はvol.7「2/2」の、Vol.12はvol.11「ウインターガーデン」の、そしてvol.14「24時着00時発」はvol.13「24時着0時発」のそれぞれ再演だったのですが、それ以外では初日の開演前にストーリーの一部なりとも漏れてくることはありませんでした。
 それが今回は下敷きが「安寿と厨子王」と言われたという事ですから、すなわち予備知識というか話しの理解の前提として、「このへんは「予習」(復習かな?)して来てくださいな」というメッセージのようにも感じました。
 ですから当然私としては「山椒大夫」くらいは読み直して(予習というか復習というか)ですね、望んだワケでして、結果、若干"?マーク"が点灯することはありましたが、舞台上の流れに置いてけぼりにされることもなく、まずまず楽しめたと言える状態で帰路についた次第なのです。

 なのですけれども、敢えてそんなことはせずに赤坂ACTへ足を運んだ方も少なからずいたのではないかな?と言うのが序盤ネット上での反応の一部に感じられましたね。
 別に、それらの方を批判するという態度ではないです。
 たしかに舞台というのは、その2時間なり3時間なりの区切られた時間、空間で、基本的にお話が完結しているべきだと思います。(演劇の場合ね)
 事前に予習したり、帰ってから復習したりするのは、その舞台をより一層理解しようとする、枠を広げると言うことでは楽しいことではありますが、演劇などを観る基本的な在り方とは少々異なると思います。そして、「演劇」を見せるのであれば、このスタンスは違うのではないか?とも思います。
 ならば「夜会」なんて、中島みゆき嬢のやる三文芝居、自己満足の猿芝居じゃないかなどと言われそうですけれども、しかしながら、「夜会」のスタンス自体が「コンサートでもない、お芝居でもない」もの、中島みゆきの「言葉の実験劇場」なのですから、これでも良いのだと私は思います。
 むしろこれを前提にして向き合わないと(付き合わないと?)、そりゃ1枚2万円もするチケットなんか、とても買えませんわね。

 お芝居や映画、或いは時間の違いがあれどテレビドラマも同様だと思いますが、やはりある程度の起承転結があって、しかる後に観客(視聴者)のカタルシスを得るエンディングを迎えると言うのが、悲劇のみならずアクション物でも恋愛物でも、そしてファンタジーでも、お話の語りの定石ですが、今回の「夜会~今晩屋~」に於いてはそれが、やや薄味になっているかも知れません。
 舞台上であらためて主人公を繰り返し襲う悲劇があるわけでもなく、そもそも主人公が誰なのかが掴みづらい(実は舞台上の全員なのですが)ですし、積もってきた感情が一気に解き放たれる、浄化されるクライマックスの一曲があるわけでもなく、夜会のテーマソングとも言われる「二雙の舟」さえも今回は歌われません。
 もちろん盛り上がりが一切無いという事は全くありませんが、しかし淡々とお話は、目指す場所へと向かって緩やかに収束してゆきます。

 この物語、起承転結が無いのでもありません。
 思うに「安寿と厨子王のものがたり」=「山椒大夫」を"起承"として、この~夜物語~「元祖・今晩屋」に"転"と"結"を配した構成なのではないでしょうか。

 20時に開演し、途中20分の休憩を挟み22時20分に終演する2時間のこの舞台。
 公演パンフレット(3000円)にも書かれていますけれど、『物語は、至極、単純明快』なのです。
 ただそれが表面上はあまりにも単純すぎて、淡泊に見えてしまい、物足りなく感じるのだと思います。

  『夜会」Vol.5 "花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふる ながめせし間に"』なども、比較的(特に前半は)淡々と進み、クライマックスで一気に駆け上がる(まさしく!)、という展開でした。
 今回は、強いて言えばこのVol.5に近いのかも知れない?等と感じました。
 その「Vol.5 花の色は~」など実は、その裏側には「雨月物語 浅茅が宿」に題を採った膨大な構成があり、あとから手にしたシナリオ本をみて、その恐ろしいほど深い作り込みに絶句した覚えがあります。
 それらが「夜会は難解な舞台」などと言われる理由の一つでもあるのかも知れませんが、でも、たとえ裏に込められたその膨大な設定を知らずとも一つの完成された舞台として楽しめた物ではありました。

 今回はそれらに比べたらやはり薄めの味付けに感じます。
 どちらかと言えば、観る側よりも演じる中島みゆき嬢側のカタルシス(自己満足ではなく)を優先させた舞台のような、そんな感じがする仕上がりだと思います。
 その答えの一部はこのインタビューの中にありました。

中島みゆき インタビュー/@ぴあ
中島みゆきが1989年にスタートさせた「夜会」の15回目となる公演が始まった。コンサートとも違う芝居とも違う「夜会」に、中島はどんな想いをこめているのか?
 Text●田家秀樹
「今回、「夜会」というものを自分に引きつけようと強く思ったんですよ。自分の価値観みたいなものを掘り下げてゆくと、こういうものに当たっちゃうんですね。中島丸出し(笑)。あのお話は子供の頃から何度読み返しても「え、何で」と 思うことがたくさんあってずっと気になっていたんです。その年代なりの「何で」という疑問が積み重なってきたんで、ホールも変わるし、ちょっとは新しいことも出来るかもしれないということでこれにしました」
最後、また異例なことに締めの挨拶があります。
これまでは演者とミュージシャンが揃って一礼して終わり、でしたけれど、今回は中島みゆき嬢がマイクを持って礼を述べます。
 例年なかなか帰らない観客に諦めさせるためなのか、それともこの挨拶も含んでの夜物語なのか、まだまだ謎は残ります。

コメント (4)

茶々丸:

今晩は、そして初めまして。中島みゆきさんがデビューした頃からのファンの一人です。先日ボクも『夜会』観てきました。これはボクの勝手な解釈かもしれませんが、『夜会』のテーマとしての“二艘の船”は歌曲としてではなく、舞台構成全体を醸し出すイメージとして歌われていたと思います。仰るとうり“起承転結”の“起”と“結”は互いに結びついていて、安寿が厨子王の深層意識の中で縛り、この二人が母親を縛っていたのではないのかな、と感じました。百八の除夜の鐘が炎上する仏殿や船と同様、この世とあの世(現生と来生)を時として隔てる境目としてあるならば、百九の除夜の鐘がもたらすモノは同時にこの幾つかの流離う魂を呼び出す合図として使われていたのではないのか、とも感じました。つまり隔てるモノと繋げるモノは決して別のモノではなく合わせ鏡の裏表のような意味を持っていたのではないのでしょうか。だから歌曲としてわざわざ“二隻の船”を表には出さずとも、そのモチーフを作品全体の中に位置づけて生かしていたのではないのでしょうか。人の一生も時間の流れもそれ自体で1つの区切ることなどできず“起承転結”の枠の中で螺旋のように続いていく。ボクはそんな印象を受けました。正直、これまでの『夜会』とは異なって度肝を抜かれた、というのが本音です。次の『夜会』へ繋がる隠し言葉がどのような形で表されるか楽しみです。

Fujie [TypeKey Profile Page]:

茶々丸さん、コメントありがとうございます。
二雙の舟ナシはこれが始めてではないですものねえ。
でも前回「Vol.14 24時着00時発」、前々回「Vol.13 24時着0時発」の二雙の舟があまりにも強烈だったので、今回も出来れば聴きたかったかなあ。まあ、あの構成とストーリーの中では使う場面が無いのでしょうけれど。
「百九番目の除夜の鐘」は確かにそう感じました。
(コレ、今の課題?です・・・鐘が「鳴り始める」のと「鳴り止まない」の違いを探していたり)
境界線が歪む合図あるいは切っ掛けであったり、同時に舞台全体に流れる主題を呼び起こす動機ともなっている気がしました。
いやあ、二度観ましたけれども面白いです。
スルメです。
って事で、17日に三度目です;;

茶々丸:

Fujiteさん、丁寧な御返事ありがとうございます。『二隻の舟』は中島みゆきさんの作品の中でボクが最も好きな作品の1つです。ですから余計にこの曲を今回の『夜会』の中で聴きたかったと思っています。元々は“恋”の歌として成り立っているこの曲に新たな生命を吹き込むとすれば、前回の『24時着0時発Vol.14』でのラストシーケンスのように一部部分のみで使って欲しかったと思いました。前回がアルバム『転生』を意識しての舞台だったので今回はそれを受ける形だったと思います。また最終日の19日に会場の近くで行われる筑紫哲也さんのお別れの会に出席した後に観ることになっています。もし筑紫さんがご存命でしたら今回の『夜会』も楽しみにしていたことと思います。また中島みゆきさんの作品に関して、お話を伺いに来てもよろしいでしょうか?

Fujie [TypeKey Profile Page]:

茶々丸さん、恐縮です。
明日のお別れの会に行かれるんですか。
私も筑紫さん好きでしたが、地方なので行けません。私はジャーナリストでも文化人でも何でもないですが、あの人の強さや優しさというのは忘れてはいけないと思っています。
それはさておき、なかなか訪れる人も希ですので好き勝手書いておりますけれど、こんな辺鄙なところで宜しければまた何時でも。
どうぞよろしくお願いします。

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2008年12月05日 02:15に投稿されたエントリーのページです。

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